ブログ 親孝行

大切な両親に何気無いプレゼント(親孝行)をしませんか?~将来後悔しないように~

家族
家族ができ、年を重ねるにつれ、親へのありがたみを改めてひしひしと感じている今日この頃です。

あなたのことを大切に大切に育ててくれた親には、元気で動ける内にプレゼントなど何でも良いので親孝行をして欲しいと思っています。人はいつ何が起こるか分からないからです。

私の小さい頃の家庭環境

寂しい
私の両親は、私が4歳の時に離婚しました。理由は、父親の女性問題です。私には、3つ年下の弟がいるのですが、当時まだ1歳。やっと父親を認識できるようになったばかりです。私には今9か月の娘がいますが、想像もできない状況です。。

数年前、母親が昔、私達兄弟に向けて付けていた日記が出てきたので読んでいたのですが、「小さいあなた達に寂しい思いさせないようにママもう一度パパと頑張って話すね」と書かれており、母親は相当父親と話し合ってくれていたようです。

しかし、日記にはこうも書かれていました。「ある日、〇〇(私)が急にママに泣きついてきたの。どうしたの?と聞くと、パパのせいでパパとママが喧嘩ばかりしてるから〇〇(弟)と3人で暮らしたいと言いました。その時、こんなに小さい子に寂しい想いをさせてゴメンねと思って2人で沢山泣きました」と。

なんだか本当に泣けちゃいました(笑)

結局、母親の努力の甲斐なく残念ながら離婚することとなり、私達は母親に引き取られることとなりました。

父親も私達と離れる際は涙していたようですが、普通に意味不明ですよね。どういう想いで離婚を決意したのか未だに良く分かりませんし、二度と会いたくありません。

高校生までの私と母親

喧嘩
離婚してから、母親は生命保険会社の営業をしたり、自動車メーカーで事務をしたり一生懸命働いてくれました。

帰ってきて家事をし、私たちに寂しい想いをさせないよう休日はお出かけや旅行に連れて行ってくれ、本当に愛情たっぷりに育ててくれていました。
母親と出かけながらウキウキしていた記憶はまだ鮮明にあります。

社会人になって、また、子どもが生まれてから本当に母親を尊敬しています。毎日相当疲れれていただろうに本当に良くやってくれてたんだとひしひし感じている今この頃です。。

ですが、私が中学生になった頃から反抗期に入り、少しヤンチャしていた仲間と遊ぶようになり、幾度となく母親と喧嘩するようになりました。
母親の日記によると、私は昔母親とよく喋る子だったようですが、高校3年生位まであまり口を聞かなくなってしまいました。。。

とはいえ、母親が私たちの為に一生懸命働いてくれていたのは分かっていたので、家事は手伝い、サッカーは一生懸命頑張り、大事な大会には招待し、学校のテストでは比較的上位に食い込めるよう努力はしていました。

なので、仲が悪かった訳ではありませんでしたが、もっと沢山話したかったことがあったなって今振り返ると思います。

母親が肝臓癌と診断され、約1年で亡き人へ

反抗期をやっと脱出し、せめてもの恩返しをと、大学受験も予備校にも通わず無事第一志望校に合格し、徐々に母親との会話も増え始めた矢先でした。

いつものように仕事から帰ってきた母親が部屋に入った瞬間泣き崩れました。
私:「急にどうしたん?」と聞くと、母:「お母さん癌みたい、、どうしよう、、」と言われ、今まで強くたくましい母親を見てきた私は、「大丈夫大丈夫!お母さん強いし、病院行けば治るやろ!」と言いましたが、私自身とてつもなく動揺したのを覚えています。

実は、この時母親は肝臓癌のステージ3でリンパへの転移が始まっていました。数か月後、親族だけ病院へ呼び出され、母親の現状を聞かされた時は、生きてる心地がしなかったのと同時に涙が溢れました。。

その後、病院からの奨めでお腹の切開手術を試みましたが、その時には転移が広がりすぎてどうしようもできず、何もできないまま抗癌剤治療に移りました。

入院当初は、私:「何か買っていこか?」と聞くと、母:「ピノ!や、〇〇の雑誌!」など言っていたのですが、月日が経つ内に、返答が「何もいらない」に変わり、私が病室に付くと、「痛いよ~」と抱き着いてきたり、「ここさすって~」とお願いしてきたり、数か月前まで元気だった姿は一切消えていきました。

そうこうしている内に体のそこら中に癌特有のしこりが出てきて、止む無く自宅療養に切り替わり、2013年6月19日にこの世を去りました。

私はこれから親孝行をしていこうと思っていた矢先であり、唯一できた親孝行は、亡くなる直前の母の日に初めてこれまでの感謝の気持ちを込めて手紙をあげた位でした。。

母の願いで、この手紙は棺の中へ入れ、母と共に天国へ旅立っていきました。。

喪主も私が行いましたが、スピーチで涙が止まらず、めちゃくちゃ時間を取ってしまったのを覚えています(笑)今こうして記事を書いているだけでも未だに涙が溢れてきます(笑)

後悔の嵐・将来の夢

後悔
私には国公立に行く学力が無かった為、私学の高い学費を稼ぐ為、通常勤務を終えた後、夜な夜な知り合いのスナックで働いてくれていたのも知っていましたので、沢山自分を責めました。

「もっと一生懸命勉強しておけば良かった…」、「もっと話しておけば良かった…」、「バイト代でもっと恩返ししておくべきだった…」、「もっと家事をすべきだった…」など挙げだすとキリが無いですが、本当に後悔ばかりと虚無感が残りました。

この経験を経て、私には夢が出来ました。「家族を本当に大切にして、愛して、絶対に皆が笑って暮らせる環境を作りたい」

先日記事に書きましたが、就職活動を頑張れたのも、今こうして仕事も家事もブログも頑張れているのは全てこの夢の為です。

「絶対に子どもには寂しい想いをさせない」これも本当に大切にしていきたいと思っていて、出来るだけ娘と接する時間を作りたいです。(その内、うざがられるのかな…(笑))

皆さまへの切なる願い

確かに、両親は時には鬱陶しいことがあるとは思いますし、プライベートや子育てに口を挟んできて面倒くさいこともあると思います。

ですが、本当に人にはいつ何が起こるか分かりません。

子どもがいらっしゃる方なら尚更分かって頂けると思いますが、私たちは両親から本当に愛情を貰って育ってきているはずです。

そんなお世話になった両親が元気な間に、プレゼントでも何でも良いので親孝行して頂きたいのです。

私のように取り返しがつかない状況になったら本当に後悔しか残りません。困っていることがあるならすぐ相談してみて下さい。沢山話しかけてあげて下さい。笑顔を見せてあげて下さい。

「親とは喧嘩していて長年会っていない」、「実家に行くとごちゃごちゃ言われるから当面行っていない」といった声も聞きますが、例え、今仲の良い状態で無くても心の内では必ず喜んでくれると思います。少なくとも、私だったら我が子が来てくれたらどんな時でも喜びます。

以上、あなたには私のように親孝行で後悔の無い人生を歩んで頂きたく、このテーマで執筆しました。

ご両親に対する皆さまの心情の変化が起これば幸いです。最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。

  • この記事を書いた人

ジョブクリーン編集部

編集長YUの経歴:上場銀行▶上場メーカー | ハイクラス転職活動経験あり | 自身の体験に基づいた転職・退職の記事を投稿 | 転職記事に関しては500名以上の転職成功実績をもつ『某大手現役キャリアアドバイザー』に監修済